私の住まう地区では回覧板がひんぱんに回ってきます。班ごとに紙製のバインダーが作られ、裏に「回覧順」が書いてあります。長らくこういった回覧板とは縁が切れていたので嬉々として回しています。
ある日、こんな印刷物が入っていました↓
なるほど「救急医療情報カプセル」。これはよい取り組みだと思います。
・・・が、おもわず目をみはったのは「平成27年度和田地区人口」の表です。高齢化率が地区ごとに計算されているのですが、住民の39.00%から53.26%は65歳以上の先輩市民ということになります。内閣府の資料によれば、平成27年、全国の高齢化率は26.8%になるだろうとしていますから、我らが和田町の高齢化率は全国平均と比べてかなり高いということですね。
「少子高齢化」と、高齢化と少子化はセットになって「このままだと大変だ、大変だ」と叫ばれて久しいわけですが、東京から和田町へと、都市生活を辞めて過疎地に移り住んだ私がつらつら思うのは、
「悲観的にならないほうがよいのでは?」
ということです。
確かに「少子高齢化」問題について思いめぐらすと「先々の不幸」に対する怖さが膨らんでいくのですが、ふと私が思いましたのは次のようなことです。
これは時代の流れのなかで必然性があって起きていることなので、むやみに解決しようとしてはいけないのではないか。解決しようとするのではなく「今の今、本当に対応しなければならないことは何なのか」を見極めて対応できるものは対応し、「これからどのようにしていくのがよいのか」については長いスパン(ま、実現するのは3世代後でもいいやくらいの感じ)で根気よく、あきらめずに取り組んでいくのがよいのではないかしらと。
東京や県北部に出かけて和田に帰ってくると、いつも「ああ、なんだか分からないけど、ここで暮らすのが私にとっては大正解なんだな、少なくとも今は」と思います。最寄駅で電車から降りると潮と樹木の香りがし、思わず深呼吸します。
少子高齢化に限らず、この世の中は矛盾や解決すべき(と思われる)問題がこれでもかこれでもかと存在しています。が、何よりも「今を気持ちよく、楽しく生きるためにはどうしたほうがいいのか」を真面目に考えるほうが先であるような気がします。もちろん自分さえよければよいという言動は遅かれ早かれ行き詰まりますから、そこは一人一人が自分をとりまく世界と何とか調和と保つ努力は必要でしょうが。
そこに生きる人々がそれなりにのびのびと楽しく暮らしていれば、必ずそこには人が集まってくるのではないでしょうか。
「どうすれば町がよくなるか」
人やお金や産業が集まる方法を考えることもとても大切ですが、まずはここに生きる人たちが自分の生活の場を気に入り、充実した日々を過ごすことがなによりだと思います。
「そのためにはどうしたらよいのか」
それこそが、実は難問なのかも。なぜならそのためには自分自身を顧みることが必要だから。私などはそこのところで嘆きたくなります(笑)。
高齢化が進んだって、子どもが減ったって、若い人が町を離れたって、そこに住んでいる人たちが日々気持ちよく、幸福感を味わいながら生きていけないなんてことはないでしょう。
生きていれば思わず嘆かずにはいられないことにも遭遇するでしょうが、この町の高齢化は嘆かなくてもよいのでは?
(記:2015年8月8日)