東京から和田町に移住して1年半経ちましたが、どうも自分の部屋や台所や収納場所が使いにくく、狭い家の中で右往左往、無駄な動きをしているように感じてなりませんでした。
あわただしい夏がすぎ、機は熟したようです。
「かたづけたい、かたづけた、かたづけたいったらかたづけたいんだ!」
ということで楽しみのブログ更新もさておいて、ここしばらくは仕事、家事、介護の時間を除き、片付けに没頭しておりました。
片づけ願望に火がついたところ、たまたま、「こんまり」こと近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」という本にめぐりあったので、そのメソッドにしたがってやっています。メソッドについては他の方がWebサイトやブログで要領よくまとめていらっしゃるのでそちらをご覧いただければと思います。
モノに対する意識の改革がうながされること、モノを通して自分と対話するかのような修業的側面があることが特徴だと感じました。
これまでに洋服を5分の3、靴は半分、バックは3分の2を処分しました。気づいてぎょっとしたことには「ときめくものを持っていない。できれば全部捨てたい」と思ったことです。本当にときめいたのはコート1着、服1枚、バックが2つ、くつ2足(うち1足は長靴)だけでした。他は「捨てたら困る」か「まだ身に着けたいという気持ちになる」程度。
なにもかもが古びていたり傷んでいたり、仕事上必要で、あるいは生活上必要に迫られて仕方なく買ったものだったりしたのです。
自分の持ち物を棚卸しすることで、自分の生き方のまずさというか不器用さというか反省すべき点が多いというか、いろいろ気がつきました。
みずぼらしいと思うものを我慢して使ったりするのはやめることにします。また自分の持ち物はすべて自分でコントロールできるようにしていきます。手持ちのお金が減っても、ここでいったん自分の持ち物を総点検して、大いに捨て、買い替えるべきものは買い替えます。
せっかく実現した田舎暮らし。まだまだ私の生活は良いものになるはずで、この際、「自分の持ち物 棚卸し」を徹底的に行ってみたいと思います。
(記:2015年9月25日)
僕の場合、エンディングに向けての断捨離ということになります。
宮城で津波に遭い自宅を含む一切を失い、人生リセットして4年半。
本当に必要なもの、心底気に入ったものだけを少しずつ揃えていたつもりでしたが身の回りには雑多なモノが集まり始めています。
数年使っていないもの、年に1度袖を通すかどうかという衣類なども随分あります。
おっしゃる通り「みずぼらしいと思うものを我慢して使ったりするのはやめる・・・」という決断は大事ですね。
とりわけ僕の世代は”よそ行き”の感覚が捨てきれませんが、しまうのではなく使いこなさなければ無意味です。
元女優で古伊万里などの蒐集でも知られる浜美枝さんは所蔵する銘器を惜しげもなく普段遣いし、割れれば金継ぎして使いこむとのこと。
こうした潔さを持ちたいと思います。
”身ぎれい”は外見だけではないと思います。
シーゲルさん
コメントありがとうございます。暑い夏も行き、過ごしやすくなりましたね。
私が激しく片付けたくなったのは7月に亡くなった母の残したものを見た影響もあるかもしれません。
母も新しい服やタオルや小物をたくさんもっていたのに日ごろはすり切れたものを着たり使ったりしていました。ちょっとかわいそうな印象でした!
実家の片づけも待っています。続報を書きますのでよろしくお願いしますm(_ _)m