当サイトのキャッチフレーズは「中年夫婦が職を捨てて東京から千葉県南房総市へ移住、どうする、どうする、田舎暮らし」なのですが、夫の仕事が決まりました。
精神障がい者の方々が生活するケアホームの職員に採用され、8月から元気に出勤しております。
今年(2014年)3月に東京都調布市から、ここ千葉県南房総市和田町に引っ越し、就職活動が5か月近く続きました。親類、友人の伝手をたどっても、50代に突入した夫の仕事はなかなか決まらず、難航しました。今回の就職先はハローワークで見つけましたが、先方も職員の増員にあたっては資金の調達が大変だったようで「ぜひ採用したいけど、すこし待ってもらえばなんとか・・・」とのことで、あきらめて別の仕事を探して2か月経った頃、採用が決まりました。夫の場合、多少守備範囲が違うものの、前職での経験が今の職場で必要とされたようです。
「田舎には仕事がない」 → いや、ご縁があれば(^o^)丿
多くの都市生活者が田舎暮らしに憧れながら実行に移せない高い壁がこれです。
私も移住する前から、こちらのハローワークを訪れてみたり移住希望者の支援機関に相談に行ったりしており、就職事情が厳しいことは覚悟していました。
とはいっても、東京にいても状況が厳しいのは同じではないか。
・・・と私は感じていました。私の場合、新卒で入った会社を20代半ばで退職して以来、およそ20年間「年がら年じゅう仕事を探している」ように感じていました。結果的には派遣OLをしていた期間が長くなりましたが、望んでそうなったわけではありません。私に関して言えば、もう定職につくことにこだわらずに現金支出をおさえ、住まいの近くで必要とされる仕事を少しずつさせてもらいながら生計を立てる手段を探して行こうと腹をくくりました。
仕事は望んでも手に入らないことが多いし、突然相手に恵まれることもあります。仕事のめぐり合わせは恋愛に似ているといつも思います。良くも悪くも最後は「腹のくくり具合が肝心」かもしれません。
「田舎には仕事がない」 → いや、そうともかぎらないのでは(^o^)丿
・・・とはいってもご当地にはこれだけの住民がいらっしゃって、生活しているわけです。とりあえずは健康な中年夫婦2人が食い詰めて餓死するとはどうしても思えません。
また田舎は「就職難であると同時に求人難なのではないか?」と私はずっと考えていました。
採用する側も経験者を雇う場合には、求める人材とフィットする人を見つけるのは大変なのではないでしょうか。
実際、夫の職は「業界知識がある人、経験者が欲しかった」ということで決まりました。それでも田舎では就職先の絶対数が少ないので、
(1)定職につきたいのであれば就職先を決めてから移住する
(2)移住してから探すのであれば時間がかかることを想定しておく。つなぎにアルバイトをしながら就職先を探すくらいのことも考える。ただしそのアルバイトもなかなか思うように決まらない可能性がある。
・・・くらいのことは考えた方がよさそうです。
私たち夫婦の場合は、(1)がさまざまな事情で実現できず(2)のパターンなりました。いざとなったら私が実家にもどって日銭を稼ぐつもりでしたが(出稼ぎ!)、運よく夫が職場に恵まれました。
私もこの地で自分自身が愉快に暮らし、コミュニティの中でお役にたてるようになり、海と山とに囲まれた和田町の美しい土地を愛でながら幸福に生きていきたいと思っています。
このWebサイト、ブログでは「田舎で暮らしたい」「Iターンしたい」と思っている方の参考になるような情報を発信したいと思っておりますが、肝心の私のスモールビジネスがまだまだこれから。いつか「私はこうやって田舎で快適に自分の望み通りに暮らしています」とお伝えできればと思います。
とはいってもまずは「夫は定職、私はスモールビジネス」という希望のうち、片方がかなったので、大変うれしく思っています。
(記:2014年9月13日)
旦那様の就業、パソコン教室、webサイト開設等々着実に地域に入り込んでいるご様子がよくわかります。
あわみなさん流田舎暮らしの印象は、
・移住先での就業機会や雇用状況をきちんと当たって、正しく認識し、
・自分が出来ることをセールスポイントとして発信しつつ、
・アルバイトでも細切れ仕事でも厭わないしたたかさを持ち、
・それでいて明るく、日々愉快に暮らす気楽さを失わず、
・それでも推測不能なところは「腹をくくる」大胆さで踏み出す。
といったところです。
でもやはり和田町への愛着が根底にあるから乗り越えられるのでしょうね。
田舎暮らしに憧れる都会人は年々増え続け、その理由・目的は人それぞれだけれど、田舎ならどこでも・・・でなく、自分がそこで何ができるか(どんな形で地域で認められ、役に立てるか)をしっかり考えることが大事でしょうね。
そして、すべて確保されていないと不安な都会人的発想を切り捨て、地道に少しづつ歩んでいくことではないでしょうか。
3年半前、宮城の海辺の暮らしを失い千葉に移り住んでいます。もっと若かったらあわみなさんのように再スタートしたいところですが、「どうするどうする」を僕たち夫婦に置き換えて密かにワクワクしています。
放言、失礼しました。
シーゲルさん
いつも励みになるコメント、ありがとうございます。
「自分のことを気にかけてくださる方がいる」ことを感じるのは「生きる力」をいただくことだろうと思います。これは私だけではなく、誰もがそうなのではないでしょうか。
それにしても確保すればするほど、確保したいと思えば思うほどかえって不安は大きくなるような気がします。ヒトは本来「きっとなんとかなるだろう」と、とくに根拠なく信じて生きていいのではないかと思います。朝晩はすっかり秋の気候になりましたので、シーゲルさんも風邪など召さぬようお過ごしくださいm(_ _)m