中年夫婦が職を捨てて東京から千葉県南房総市へ移住、どうする、どうする、田舎暮らし

99段登る信仰心 登ってみれば絶景が「船形 諏訪神社」

全国五千社あるといわれる諏訪神社。そのうちの一社が船形にあります。

参道には99段もの階段があり、境内からは美しい鏡ケ浦が一望できますが、現在は木が茂っており多少景観を遮っています。

隣には崖観音で有名な船形山大福寺があります。展望はここからのほうがよいでしょう。【現在「崖の観音」は修繕中のため、観音堂に登れません。詳しくは大福寺のサイトをご確認ください】

 

99段。この階段を登れば・・・

99段。この階段を登れば・・・

 

以下公式パンフレット「参拝のしおり」より内容を引用します。(宮司様のご了承をいただいています)。

【お知らせ】

2017年3月4日夕方、放火により、この諏訪神社の拝殿と本殿が全焼しました。再建には長い年月がかかると思われます。

費用面、技術的な面でご協力いただける方はぜひお力添えください。当サイト管理者経由で宮司様へのご連絡を承れます。

 

(鎮座地)294-0056 千葉県館山市船形833

(電話番号)047-027-2069

(交通)JR内房線・那古船形駅下車、西へ徒歩15分。JR館山駅より日東交通バスでなむや行、崖観音で下車。

【御祭神】建御名方命(たけみなかたのみこと)

父神は大国主命(おおくにぬしのみこと:ダイコク様)、母神は沼河比売命(ぬなかわひめ)、兄神は事代主命(ことしろぬし:エビス様)、妃神は八坂刀売命(やさかとめのみこと)と申し、俗に「おすわ様」という名で親しまれている。

 

【御神徳】

おすわ様の本社は信州の諏訪大社で、全国に約五千社余り分布している。

タケミナカタノミコトは武運の神として特に武家社会で信仰されていたが、とりわけ源氏にゆかりのある武士団の崇敬者が多くなり、南北朝のころ信濃の豪族などが本国を出て瀬戸内海の島々に居を移し、水軍として、瀬戸内海から遠くは東支那海の会場に諏訪明神の船印を立てて、雄飛したと言われ、戦国時代には武田信玄の諏訪明神信仰を始め瀬戸内海沿岸の豪族が海上守護神として諏訪明神を祀り活躍したと言われ、この頃より漁民にも根強い信仰を得るようになった。

 

【由緒】

当社は山岳宗教の思想にもとづき、養老元年(七一七年)東国教化の巡錫(じゅんしゃく)をして来た行基菩薩が、自然の地形に依る眺望絶佳なる船形山に勧請し、以来武運、開拓、海上守護神として氏子に尊崇されている。

治承四年(一一八十年)八月源氏再興を期して伊豆で旗上げをした源頼朝公は、海路安房にたどりつき、地頭安西景益の案内に従い洲崎明神へ巡拝の折、諏訪船形神社へも立寄り、源氏再興の大願成就を祈願し、多田良荘「久保が鼻」より船出して、これを御加護した諏訪船形明神の御神威は頼朝公を感服させ、後に諏訪船形明神は、多田良荘(郷)十数箇村の総守護的な神社となり、以来こうした御神徳が船旅をする人々や、漁師、船荷、航海、交通の安全を守る信仰を集めた。

 

【沿革】

当社の隣には崖観音大福寺があるが江戸時代までは大福寺が別当寺として当社を管理していた。明治元年四月頃より神仏分離が発令されていたが、安房国は、それよりもおくれて七月頃に達せられ、当社は独立して神職がおかれるようになった。

船形には宗教法人いなっていない小さな社(末社)を合わせると十余社鎮座しているが、当社は船形地区の総氏神として氏子、崇敬者からあがめられている。

社格は、明治六年三月三日郷社に列せられ昭和十八年指定郷社の格を賜る。

終戦後、社格は廃され宗教法人として現在に至っている。

境内は約五百坪。

 

【出雲へ行かない神様もいる】

毎年十月には、全国の神社の神が出雲大社に集まり(縁結びの評定をする)この月を神無月と呼ぶが諏訪の明神を始め、道祖神、金毘羅神は出雲へ行かないといわれている。理由はそれぞれはっきりしないが諏訪の場合明神が出雲を追われた神『古事記によると大国主命(ダイコク様)の国ゆづりに反対して天津神に挑み、敗れて諏訪に逃れた建御名方神と』されていることに関係があるらしい。あるいは一説には、明神は竜神で、その姿があまりにもグロテスクなため、出雲のほうで来訪を遠慮願ったのだともいう。

 

【御神宝】

一、棟札

享保十八年棟札

文化十二年棟札

天保三年棟札

たびかさなる地震等で、神社歳暦等の貴重なる古文書を失う。

 

一、狛犬一対

安政二年板屋助三郎が本願主となり、安房の名石工武田石翁の傑作と言われる。

 

一、御神鏡、神号額

彫刻は、初代後藤義光の弟子後藤義信の作であり、明治から大正にかけて、「国分の彫り物師」と親しまれ、社寺、山車、神輿に多くの秀作を残している。

 

【御社殿】

鎮座以来幾度の天災、災害等に依り建替えられて来たが、現社殿は関東大震災後の昭和二年に再建して、棟梁は本職の名宮大工伊丹伊織の流れをくむ神作定吉で、拝殿、幣殿、本殿は総桧木、権現造りで、特に拝殿は、入母屋縋破風向拝で、高欄張出しの作りである。向拝の竜は旧富浦町の後藤義房の作で、両側のぞう鼻と獅子は、旧千倉町後藤義孝の彫刻である。自然の美とよくあった社で、船形山を神聖な神奈備(かんなび)として眼下の鏡ヶ浦を清浄で汚れのない処として、自然美と人工美を極めた社として名高い。

 

【例大祭・山車のお浜出】

年に一度の例大祭は、七月二十七日、(神社本庁より献幣使が参向し、)巫女による舞が奉納されて優雅荘厳のうちに執り行われる大切な祭典である。

七月二十六日、二十七日(現在は七月の第四土・日)の二日間に渡って行われる当社の祭礼と、二十七日の山車のお浜出という神事は、言い伝えによると江戸後期にはすでに行われていたと言われている。戦前の記録によると、源頼朝公から拝領したと伝承されている信田家所有の源氏の白旗を境内に上げると、それを合図に船で使用されていた「ホラ貝」を一斉に吹き鳴らしてお浜出が始められたという。

お船、屋台、山車等、計六台を数百人の若衆が丸太を組んだ山車等を担ぎながら曳く様は、房州の中でもとりわけて勇壮なお祭りであるが、最近は諸般の事情によりお浜出の神事は先細りとなってしまった。

 

【祭りとしおごり】

二十六日の夜は地元の堂之下の青年が波の華と言われる濡れた新しい浜砂を手ですくい、木遣を唄いながら国道まできて山車のお囃子に合わせて、当社の階段を気勢をあげながら一気にかけあがり神前に供える

これを三回繰り返す。

 

【年間祭事】

一月一日   元旦祭

一月十五日  おたきあげ祭

四月吉日 大漁祈願祭

七月二十六日 祭典、山車清祓等、宵宮

七月二十七日 例大祭、奉曳祭等

※現在は七月の第四土曜日と日曜日)

十一月十五日 七五三祝

 

<境内神社>

(山倉神社)御祭神 天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)

(稲荷神社)御祭神 倉稲魂命(うかのみたまのかみ)

(厳島神社)御祭神 市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)

(古夆神社)御祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)

 

<境外神社>

社名 地名 御祭神 夜宮(縁日)
十二所御霊大権現 根岸 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
第六天神社 根岸 牛頭天王(ごずてんのう):須佐之男命(すさのおのみこと)
竈神社 根岸 奥津彦神(おきつひこのかみ) 六月第三日曜日
神明神社 大塚 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) 五月十三日
庚申社 大塚 大田命(おおたのみこと):猿田彦大神
八雲神社 柳塚 須佐之男命(すさのおのみこと) 六月六日
厳島神社 柳塚 市杵島比売命(いちきしまひめのみこと) 五月二十五日
山神社 大山積命(おおやまつみのみこと) 六月八日
下諏訪神社 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと) 四月第三日曜日
日枝神社 西 大山咋命(おおやまくいのみこと) 六月十四日
金刀比羅神社 西 大物主神 五月九日
稲荷神社 仲宿 倉稲魂命(うかのみたまのかみ) 五月二十二日

 

(記:2015年1月11日)

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